ポッポ屋 機関車が支えた日本

高倉健さんの映画「ぽっぽ屋」で、流れている主題歌、「テネシーワルツ」が流れています。
そのメロディーのなかで、真っ白な雪景色の中を、汽車を運転している健さんがいます。
過去を懐かしむように・・・

とてもその映像は美しく、一生懸命働いてきた日本のお父さんの姿と、江利チエミさんの思い出が合わさって、観ている側が、勝手にセンチメンタルな気分にさせてくれます。

人生の後半になって、長い道のりを振り返り、美しい思い出として映像に登場させるなんて、素敵です。

健さんは、福岡の産炭地、筑豊の中間という場所の出身です。

あの映画を見て、中間が産炭地だというのを改めて知りました。その近くのエリアで私は生まれましたが、炭鉱のエリアではないので、良く分かっていませんでした。

私の父も戦争に8年も行って、戦後は鉄道員、ぽっぽやでした。

父もあの筑豊線に乗って、若松に行っていたのだろうか?と空想が頭をよぎって一挙にその時代にタイムスリップすると、、幸せなモードになります。

日本の経済を支えてきた機関車は、産業革命から戦後の、エネルギー石炭を運んで支えてきました。

そう思って浅田次郎さんの、ぽっぽやを見ていると、生真面目、律義、誠実、を絵にかいたような日本人がいたからこそ、ここまで経済が成長してきたのだと、恥ずかしながら、今頃、気が付いています。

汽車に乗って、博多や小倉に出かけるときの、あの汽車の匂いを思い出すだけで、熱いものがこみあげてきます。

床の木の匂いはコールタールの匂いがして、冷房などはないので窓を開けていると、石炭の煤が小さい粉になって飛んできます。
知らないうちに、顔に付着して、当たり前の景色をながめながら、顔をこすり、猫の髭のようだったりして、自分の顔はみえないので、他人の顔を見て笑っていたりする、のどかな時間でした。

もうそんな場所は、残念ながら日本中どこにもないのですから。




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