喘息の病で苦しんでいる人のスキンケアー
今年のように乾燥をしている冬は喘息の病を持っている人は辛い季節です。
風邪をひかないようにすることがまず先決です。
そういう意味では、自己管理は一日の大きなウエイトを占めています。
個人差はあると思いますが、おおむね気管支が詰まった状態ですから、排気ガスや大気汚染は喉、鼻、目、皮膚は気が付かないうちに、アレルギー症状が起きている人も少なくないと思います。
感覚器と呼吸器ですから、デリケートなこのような器官は、身体全体のバランスが保てなくなります。
アレルギーの薬や、ステロイドの吸入などによって、何とか軽い症状の人でも常備薬として使っている人は少なくないのです。
今後、呼吸器の患者は増えるともいわれています。
呼吸をして生きているのですから、人間の文明が人間自身、地球という生命体も壊している皮肉な現状があります。
私自身50代になって医師から告知されて、17年間結構つらい期間を過ごしてきました。
その期間も、仕事は休まず続けてこられたのは、本業の仕事エステティシャンとして、身体の仕組みや薬の知識、薬草の知識をマッサージテクニックなどで症状を緩和させることができました。
また、私の育った家庭の環境は、心豊かな父は医者ではありませんが、戦争の時衛生兵として長い間携わっていたので戦後も日本がまだ貧しい時代でしたし、農地改革がある前は領主としての長い役目を習慣として、近隣の方に無料でけがをしたり、おできが可能した患部をカンタンな治療をしていました。
今の時代では想像もつかないことですが、昭和20年代、30年代までは行っていました。
その助手を小学生の私と妹は手伝っていました。
薬草をすりつぶしたり、手つくりの6種類のお茶は手ずくりですべて、うちの山と畑で採った無農薬の恵みで多くの人に施すことは当たり前の気風がありました。
そんな私のルーツは体の中で生きずいていたようです。
喘息を患っていなかったらこんなことを思い出して、復活させようとは思わないでしょう。
おかげさまで両親や祖母の喘息だったことさえ思い出すことができたのです。
痰を着る薬草を煙草にして吸ったり、煎じて水あめと混ぜて飲んだりなかなか不便な時代は贅沢なものがたくさんありました。
祖母に似たのか少し苦しくても一切そんなそぶりを見せない明治の女性の美意識を生き様で教えてもらったようです。
恥ずかしながら今頃感じるなんて愚かなことです。
日本人の民間療法を、父の慈悲と慈愛の行動を、そして、祖母や母の生き生きとした生きる知恵を復活させたいと、蘇らせたいと思っています。
主治医の医師も喘息なので細かい行き届いた配慮をいただきながら、「様々な条件で、個体差によって症状が違うので、自己管理が一番大事です」と言われます。
3年前に暮れから新年にかけて、ある芸能界のプロデューサーに誘われてパーティーに多く付き合い、人が多く集まる場所に出かけていました。少し無理をして・・・
2週間くらいすると、インフルエンザと診断され高熱と呼吸が苦しい思いを10日間味わってしまったことで、それがきっかけとなって、自分の抱えている病と付き合い方を真剣に考えることになりました。
それから、喘息を取り巻く生活の諸条件をあげて、ストレス、大気や天気、食事なども分析し、本業であるエステティックの知識、マッサージの技術などを使ってケアーをしていくと医療と和えわせて出来るケアーのメソットが仕上がりました。
周りに意外と喘息の人が多いことにも気が付いて、ホームケアーとして自分でできるケアーを間もなくお披露目していきたいと思っています。
お役に立てれば嬉しいです。

風邪をひかないようにすることがまず先決です。
そういう意味では、自己管理は一日の大きなウエイトを占めています。
個人差はあると思いますが、おおむね気管支が詰まった状態ですから、排気ガスや大気汚染は喉、鼻、目、皮膚は気が付かないうちに、アレルギー症状が起きている人も少なくないと思います。
感覚器と呼吸器ですから、デリケートなこのような器官は、身体全体のバランスが保てなくなります。
アレルギーの薬や、ステロイドの吸入などによって、何とか軽い症状の人でも常備薬として使っている人は少なくないのです。
今後、呼吸器の患者は増えるともいわれています。
呼吸をして生きているのですから、人間の文明が人間自身、地球という生命体も壊している皮肉な現状があります。
私自身50代になって医師から告知されて、17年間結構つらい期間を過ごしてきました。
その期間も、仕事は休まず続けてこられたのは、本業の仕事エステティシャンとして、身体の仕組みや薬の知識、薬草の知識をマッサージテクニックなどで症状を緩和させることができました。
また、私の育った家庭の環境は、心豊かな父は医者ではありませんが、戦争の時衛生兵として長い間携わっていたので戦後も日本がまだ貧しい時代でしたし、農地改革がある前は領主としての長い役目を習慣として、近隣の方に無料でけがをしたり、おできが可能した患部をカンタンな治療をしていました。
今の時代では想像もつかないことですが、昭和20年代、30年代までは行っていました。
その助手を小学生の私と妹は手伝っていました。
薬草をすりつぶしたり、手つくりの6種類のお茶は手ずくりですべて、うちの山と畑で採った無農薬の恵みで多くの人に施すことは当たり前の気風がありました。
そんな私のルーツは体の中で生きずいていたようです。
喘息を患っていなかったらこんなことを思い出して、復活させようとは思わないでしょう。
おかげさまで両親や祖母の喘息だったことさえ思い出すことができたのです。
痰を着る薬草を煙草にして吸ったり、煎じて水あめと混ぜて飲んだりなかなか不便な時代は贅沢なものがたくさんありました。
祖母に似たのか少し苦しくても一切そんなそぶりを見せない明治の女性の美意識を生き様で教えてもらったようです。
恥ずかしながら今頃感じるなんて愚かなことです。
日本人の民間療法を、父の慈悲と慈愛の行動を、そして、祖母や母の生き生きとした生きる知恵を復活させたいと、蘇らせたいと思っています。
主治医の医師も喘息なので細かい行き届いた配慮をいただきながら、「様々な条件で、個体差によって症状が違うので、自己管理が一番大事です」と言われます。
3年前に暮れから新年にかけて、ある芸能界のプロデューサーに誘われてパーティーに多く付き合い、人が多く集まる場所に出かけていました。少し無理をして・・・
2週間くらいすると、インフルエンザと診断され高熱と呼吸が苦しい思いを10日間味わってしまったことで、それがきっかけとなって、自分の抱えている病と付き合い方を真剣に考えることになりました。
それから、喘息を取り巻く生活の諸条件をあげて、ストレス、大気や天気、食事なども分析し、本業であるエステティックの知識、マッサージの技術などを使ってケアーをしていくと医療と和えわせて出来るケアーのメソットが仕上がりました。
周りに意外と喘息の人が多いことにも気が付いて、ホームケアーとして自分でできるケアーを間もなくお披露目していきたいと思っています。
お役に立てれば嬉しいです。

コメント
コメントを投稿