南蛮酒指南書 1
suntory tropical book80 からの引用ですが1408年日本史に残る最初の南蛮船の足跡は室町時代に遡るそうです。
1408年6月22日に若狭の国小浜に、一隻の南蛮船が渡来したとされている。その国籍は不明。
彼らが朝廷に献上した貢物に、像や孔雀が在ったというから、彼らはおそらく南方のスマトラあたりから渡来したのだろう。
渡り酒、つまり南蛮酒が最初に記録されているのが1410年、薩摩の島津元久が将軍 足利義持に虎皮、海梅花、砂糖などとともに南蛮酒を献上しています。
地理的に見ても、九州は日本の南端、南方の風物にもっとも早く接する位置にある。後年ヨーロッパからの貿易拠点として長崎がえらばれるのも一種の必然がありました。
また、島津は古くから琉球と交易をはじめており、その交易路を帆船に積まれた南蛮酒はやってきたのでしょう。
そして、琉球にはその頃すでにポルトガル人がはるばる海を越えてやって来ているのです。
--続く--
1408年6月22日に若狭の国小浜に、一隻の南蛮船が渡来したとされている。その国籍は不明。
彼らが朝廷に献上した貢物に、像や孔雀が在ったというから、彼らはおそらく南方のスマトラあたりから渡来したのだろう。
渡り酒、つまり南蛮酒が最初に記録されているのが1410年、薩摩の島津元久が将軍 足利義持に虎皮、海梅花、砂糖などとともに南蛮酒を献上しています。
地理的に見ても、九州は日本の南端、南方の風物にもっとも早く接する位置にある。後年ヨーロッパからの貿易拠点として長崎がえらばれるのも一種の必然がありました。
また、島津は古くから琉球と交易をはじめており、その交易路を帆船に積まれた南蛮酒はやってきたのでしょう。
そして、琉球にはその頃すでにポルトガル人がはるばる海を越えてやって来ているのです。
--続く--

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