ファッションチェックが厳しいオネエさま方はサンジェルマンデプレがお好き
--加筆修正履歴----------------------
2014/07/12:タイトルを変更しました。本文を一部修正しました。
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ファッションデザイナーやヘアーメイクの私の友達のほとんどはオネエさま方で気の利いた気配りができる人たちが多い。
パリに短い期間だけれど滞在していたころ、アパレルメーカーの特派員だった友人4人と食事を毎晩していた。
当時私の体重は40㎏しかなかったのでいろんなファッションを楽しんでいたが、シャルルジョルダンの12㎝ヒールをディナーになると履くように言われ、石畳みのパリの街を歩くのは少し辛かった。
理想主義のゲイのオネエさま方は要求が高いのでそのころにファッションへのこだわりを鍛えてもらった気がする。
サンローランのデザイナーの自宅にディナーに誘われ、ビストロレストランで牡蠣を30個買いワインを調達して訪問したときは喜んでもらえてホッとしたけれど、センスの具合を評価されているので緊張し通しでした。
その日は食事よりファッション批評のほうが怖いのでソニアリキエルのエンジ色のアンサンブルを着てモードフリゾンの20年代風の靴をサンジェルマンディプレのブティックで買いました。モードフリゾンで仲良くなったマドモアゼルがいたので安心してお誘いの装い準備ができたのです。
4人からはとても褒められてほっとしたのと同時に次の課題が待っているといった感じでした。
今思い出すとその時の厳しい批評の美意識はとても参考になっています。
男性の目と女性以上の目を持ったクリエイターのゲイは女の表情をとらえるのがうまいので、ごまかしがきかない鋭い感性をぶつけてきてストレートにわかりやすいのです。
ファッションのプロフェッショナルだからデリケートな心使いは日常生活にもおいても出てくるのですが、それは私の感覚と共通するものだったから楽でした。
オペラ通りセーヌ河に向かって左に(現在はない)東京銀行が見えてくる。その先の道路が狭くなりかけた左にさくらという日本食レストランがあり、そこでよくあの高田健三さんと出会った。軽く会釈をするくらいで話をする勇気はなかったが、一人でいつもしっとり食事をしている彼を見ると邪魔してはいけない空気が立ち込めていた。初めてお店でお見かけしたとき、私はケンゾーのJapブランドのオレンジのロングベストにコードレーンのピンクベージュのシャツ、綿素材の黒ベースにいろんな色のペーズリー柄のネクタイをしていた。パンツは土方のコーデュロイのこげ茶を履いていました。
ケンゾーさんはじーっと見て話しかけたそうな気配に期待していたがかけてくれなかった。
その頃のケンゾーは独特のビビッドな色使いで世界を魅了している最中だった。
後日、また同じ店で別の友人とさくらに行った。またケンゾーさんに出会った。その友人はケンゾーさんと知りあいらしく、話をしていたので何かきっかけができることを心の中で期待していた。
後で友人が自分の服を着ている人に会うと照れくさくなるらしいと伝えてくれた。
ケンゾーのファッションは旅がテーマだと彼が言っていた。その3年後にサントリーのロケでシルクロードに行ったとき、現地のウイグル族のひとたちのファッションをみると、それはケンゾーコレクションそのものだった。
何故か何度かお見かけしただけなのにウフッと身近に感じている自分がいました。
今度はどこへ連れて行ってくれるのだろう、と夢を持たせてくれるオネエさま方のおかげで色々な出会いや学びがありました。


2014/07/12:タイトルを変更しました。本文を一部修正しました。
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ファッションデザイナーやヘアーメイクの私の友達のほとんどはオネエさま方で気の利いた気配りができる人たちが多い。
パリに短い期間だけれど滞在していたころ、アパレルメーカーの特派員だった友人4人と食事を毎晩していた。
当時私の体重は40㎏しかなかったのでいろんなファッションを楽しんでいたが、シャルルジョルダンの12㎝ヒールをディナーになると履くように言われ、石畳みのパリの街を歩くのは少し辛かった。
理想主義のゲイのオネエさま方は要求が高いのでそのころにファッションへのこだわりを鍛えてもらった気がする。
サンローランのデザイナーの自宅にディナーに誘われ、ビストロレストランで牡蠣を30個買いワインを調達して訪問したときは喜んでもらえてホッとしたけれど、センスの具合を評価されているので緊張し通しでした。
その日は食事よりファッション批評のほうが怖いのでソニアリキエルのエンジ色のアンサンブルを着てモードフリゾンの20年代風の靴をサンジェルマンディプレのブティックで買いました。モードフリゾンで仲良くなったマドモアゼルがいたので安心してお誘いの装い準備ができたのです。
4人からはとても褒められてほっとしたのと同時に次の課題が待っているといった感じでした。
今思い出すとその時の厳しい批評の美意識はとても参考になっています。
男性の目と女性以上の目を持ったクリエイターのゲイは女の表情をとらえるのがうまいので、ごまかしがきかない鋭い感性をぶつけてきてストレートにわかりやすいのです。
ファッションのプロフェッショナルだからデリケートな心使いは日常生活にもおいても出てくるのですが、それは私の感覚と共通するものだったから楽でした。
オペラ通りセーヌ河に向かって左に(現在はない)東京銀行が見えてくる。その先の道路が狭くなりかけた左にさくらという日本食レストランがあり、そこでよくあの高田健三さんと出会った。軽く会釈をするくらいで話をする勇気はなかったが、一人でいつもしっとり食事をしている彼を見ると邪魔してはいけない空気が立ち込めていた。初めてお店でお見かけしたとき、私はケンゾーのJapブランドのオレンジのロングベストにコードレーンのピンクベージュのシャツ、綿素材の黒ベースにいろんな色のペーズリー柄のネクタイをしていた。パンツは土方のコーデュロイのこげ茶を履いていました。
ケンゾーさんはじーっと見て話しかけたそうな気配に期待していたがかけてくれなかった。
その頃のケンゾーは独特のビビッドな色使いで世界を魅了している最中だった。
後日、また同じ店で別の友人とさくらに行った。またケンゾーさんに出会った。その友人はケンゾーさんと知りあいらしく、話をしていたので何かきっかけができることを心の中で期待していた。
後で友人が自分の服を着ている人に会うと照れくさくなるらしいと伝えてくれた。
ケンゾーのファッションは旅がテーマだと彼が言っていた。その3年後にサントリーのロケでシルクロードに行ったとき、現地のウイグル族のひとたちのファッションをみると、それはケンゾーコレクションそのものだった。
何故か何度かお見かけしただけなのにウフッと身近に感じている自分がいました。
今度はどこへ連れて行ってくれるのだろう、と夢を持たせてくれるオネエさま方のおかげで色々な出会いや学びがありました。


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