隣のカワイイ子
毎日夜9時頃になると隣の3歳くらいの男の子がお父さんと一緒にお風呂に入ってキャッキャと嬉しそうな声が聞こえてくる。
水遊びをしてはしゃいだ高い声は嬉しい響きがあって、聞いているこちらのほうが心がほころんでくる。これが幸せというモノだろう。
ついこの時間になると期待しているのか耳を澄ましている自分が滑稽だ。
一生の中でこの幼児期が「人生の花」と年長者の方が言っていたことを思い出した。そしてもうすでに親孝行をしているから束縛しないで自由にそだてることが望ましいと。
つい最近のことのように子育て真っ最中の頃を思い出すと、時間に追われ疲れ切った毎日のようだったけれど幸せでした。
生きている実感が喜怒哀楽の中で成長するのは親のほうでした。
「親にしてもらう」ということですね。
主人が以前、子供を持たない人はこんなに幸せな気持ちを味わえないなんてもったいないと・・・
人は感受性で生きているというけれど、その深い感情を持ち合わせないままに生きていくことになるのは残念です。
今住んでいる街は子供が多くいる地域で、登行中の子供を守る気配りや環境が整っています。
日常的に軽く会釈をしたり散歩をしていると挨拶をかわす習慣が残っていて安心して子育てができるのです。
こんな街だから子供が子供らしいし、昭和の頃のような子供の笑い声が聞こえてくるのは大人にとってうれしいことで、少子化と言われているのがウソのようです。
子育てはゆるい時間を過ごすというか、隣の男の子がお風呂に入る時間が待ち遠しくなり、声が聞こえてくると自分の顔がほころんでくることを待っているように、不思議な連鎖に感謝しています。

水遊びをしてはしゃいだ高い声は嬉しい響きがあって、聞いているこちらのほうが心がほころんでくる。これが幸せというモノだろう。
ついこの時間になると期待しているのか耳を澄ましている自分が滑稽だ。
一生の中でこの幼児期が「人生の花」と年長者の方が言っていたことを思い出した。そしてもうすでに親孝行をしているから束縛しないで自由にそだてることが望ましいと。
つい最近のことのように子育て真っ最中の頃を思い出すと、時間に追われ疲れ切った毎日のようだったけれど幸せでした。
生きている実感が喜怒哀楽の中で成長するのは親のほうでした。
「親にしてもらう」ということですね。
主人が以前、子供を持たない人はこんなに幸せな気持ちを味わえないなんてもったいないと・・・
人は感受性で生きているというけれど、その深い感情を持ち合わせないままに生きていくことになるのは残念です。
今住んでいる街は子供が多くいる地域で、登行中の子供を守る気配りや環境が整っています。
日常的に軽く会釈をしたり散歩をしていると挨拶をかわす習慣が残っていて安心して子育てができるのです。
こんな街だから子供が子供らしいし、昭和の頃のような子供の笑い声が聞こえてくるのは大人にとってうれしいことで、少子化と言われているのがウソのようです。
子育てはゆるい時間を過ごすというか、隣の男の子がお風呂に入る時間が待ち遠しくなり、声が聞こえてくると自分の顔がほころんでくることを待っているように、不思議な連鎖に感謝しています。

コメント
コメントを投稿