小栗旬さんのカッコーの巣の上で

多岐川裕美さんに誘われて東京芸術劇場で”カッコーの巣の上で”を見に行った。
36年前、ジャックニコルソンの映画を見たときの衝撃を思い出した。

小栗旬さん演ずるマクマフィーは最初から最後まで大声で長セリフが続く。演出は河原晴彦氏。

カッコーの巣とは精神病院のことです。刑務所で作業をしたくないから狂ったふりをしたマクマフィーは精神病院に送られてくる。

マクマフィーのようなアメリカ人は朝鮮戦争を経験し、生と死を見つめた軍人たちの多くは傷ついている。アメリカという国家のために戦争に行かなければならない職業軍人たちはどんな気持ちで人生を送っているのか?
自由と平和というキレイごとの建前の犠牲者ではあるまいか?

また、この物語の鍵、原住民であるインディアンは土地を奪われ、民族の誇り、思想も捨てる生活に追いやられていた。
大自然とともに宇宙の一員として自然の一部として生きるシャーマニズムの精神は、アメリカ社会の経済を優先した資本家たちの価値観を押し付けられ差別を受け、生きる希望を失ってしまったという事実は、当時マスコミでも伝えられていた。アメリカで今でも自殺が多いのはインディアンらしい。

今年の初めに綾杉ルナさんのひもろぎのブログを見ているとインディアンの予言を紹介していました。それは地球の終わりに近ずくころ、日本人がこの地球という惑星を救うのだという言い伝えがあるとその秘伝書には書いてあるそうです。
果たして本当にそうなるのだろうか?

<カッコーの巣の上で>の精神病患者達は正直で素直、それに心が弱い、心の弱い人間は健康ではなくなる。
心が弱いとは人に気に入られたい。人に嫌われたくない、人に振り回されてしまいがちな人を言います。

施設に入ると、都合の悪い事情やシステムに合わない精神病患者や老人は、とかく昔からいじめが行われているとはうわさでは聞いていました。
患者を人間としてちゃんと接することが最近見直されていますが、病気と向きあうだけではなく人として扱うことで病気はなおっていくのです。その真逆がこの物語の恐ろしさです。

ちょっとした間違った判断をしたために、人権すら超えて立場を利用したアメリカの奴隷制度の名残が社会に残っている時代だったのでしょう。
従順な精神病患者だけに仕向けるミーティングというプログラムは逆らわないようにするために前頭葉や睾丸を手術してしまい、何の抵抗もしないものにしてしまうのです。人間の恐ろしいエゴを描いている。

そういえば、そのシーンになる前の小栗旬さんの水着のシーンは女性客のためのサービスもあるのでは?(笑)

病院の中では立場の弱い黒人は白人の看護婦長に従うしかなく、インディアンも人種差別以上の虐待を受け20世紀までは何と野蛮な時代だったのでしょうか?

天から見れば善人と悪人は逆で狂っているのはどっちだという憤りを感じた。
21世紀にオバマ大統領が就任して黒人の誇りを取り戻しつつあるのだろうか?



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