はじめに - 矢野実千代 高齢者のコスメティックセラピー
私は大手化粧品会社の美容研究所にいた頃、交通事故や火傷で皮膚がケロイド状になった人たちのために休みを返上して、ボランティアとしてメークやスキンケアを行っていました。
その経験が後々「美しく装うことは、美しく健康に老いることができる」という考えに至る最初のきっかけとなりました。これがコスメティックセラピー(化粧療法)という名前でイギリスの心理学者によって提唱されていることを知ったのは後になってからのことです。
実は私が20代の頃は、そのボランティア活動に対して特別な意味を感じず、単なる仕事上のデータ収集といった意味合いで受け止めていました。そして30代になり多くの人と接するようになると「その人の生活や人生といったものは全てその人の顔や姿に出るものなんだな」ということを感じ始めました。
ただ、まだその頃は漠然と感じていただけでした。

しかし、私が38歳のとき、一大転換期を迎えました。父が亡くなったのです。生活の中で生死ほど重要なものはありません。物質代謝の停止が死です。生命活動が終わり、どこへ行くのか。そして残された家族に何を伝えようとしているのか・・・・・・。そのとき私は人生について色々と考えるようになりました。
「個体は遺伝子の乗りものにすぎない」とある学者は言っています。
人類の長い旅を考えるとかけがえのない親の死も、すべて生命の循環の過程であること、死がなければ進化はなかったと言えます。感情として悲しかったり、辛かったりするのも進化の賜物です。
優しかった父、大きかった父を誇りに思い、私の中に生き続けていることが支えになり、そしてただ生きているのではなく、生かされている事を実感したのです。
「生活」とは生きて活かすと書くわけですから、生命の燃えつきるまで、何か私の得意な事で役に立ちたいと思うようになったのです。
健康で長生きしたいと願うから「食」に執着し、モノに囚われ、大切な事を見失ってしまいがちになるように思えるのです。
人生は「泡のようなもの」、どんなに頑張って成功を遂げた人も死を避けることはできません。
それならば、めぐりめぐって持ちつ持たれつ生きていくこと、一番大切な家族の結びつき、足元の生活が大切・・・・・・と父が死をもって教えてくれたような気がしました。
このような死生観を考えさせられたことは、自分にとってかけがえのない財産になっています。
その頃から自分の仕事の捉え方、仕方に対する意識も非常に変わってきたように思います。
私たち段階の世代が60代を迎えるときには、日本は高齢社会になってしまう。そうなったとき、父が教えてくれたこと、そして社会人になって仕事の中で学んだことがきっと社会の役に立つ。
しかし考えているばかりでは何もならない。そこで実践してみよう、と思い始めたのです。

とはいえ、私は女優やモデルなど華やかな世界の人たちにメークをするなど、日々の生活に追われていました。
でも、それだけでは寂しく侘しく感じて折、ならば美容にあまり縁のない世界の人たち、例えば老人ホームのお年寄りにお化粧をしてあげれば何かが発見できそうな予感がしてきたのです。
しかし、思ってみても実践するにはチャンスや縁がないとできないもの。そういうときに、一番ケ瀬先生と知り合えたのが幸運でした。
一番ケ瀬先生は「コスメティックセラピーの実践をなさるのなら、いろんなセラピーに取り組んでいる<さくら苑>が、意識も高く、やりやすいでしょう」と、コスメティックセラピーを具体的に実践できる場を私に設けてくださいました。
ボランティアという形ではあるのですが、それが逆に、無償で損得抜きで関われるからこそ、気持ちも体も全て注ぎこむことができ、大変な喜びにつながっています。
化粧というのは、若い人にとっては日常的なものになっています。若い人は、若いというだけで美しく、装えばさらに誰でも美しくなります。
しかし年齢を重ねると、当然シワやシミ、たるみとかいったものが出てきます。すると皆さんは、化粧をする目的を「10歳若く見える」とか、「20歳若く見える」という所に置きます。「若く見える」という所にだけ「美」を求めてしまうのです。
しかし、人間には年齢なりの美しさというものがあります。老いというのは宿命ですから、まずそれを自覚して、その中でおしゃれに取り組む、ということが最大のテーマだと思います。
そして、高齢社会を形成する予備軍である40代50代という年齢の方たちに、自分なりの美しさを表現してもらいたいのです。
容貌は関係ありません。容貌とは、その人の人生ですし、生まれ持ったものは自分ではどうしようもありませんので、まず顔のメークで自分らしさ、自分なりの個性を出していくことを提案したいと考えています。

誰でも鼻の形が気に入らなかったり、目が小さかったり、額が狭かったりすることを欠点のようにネガティブに捉えますが、それを活かすことを考えた方がよいのです。
今まで、ここを煎じつめることをメーク雑誌やハウツー本はしていません。一つの物差しに当てはめたり、美の物差しを作り過ぎているのです。「痩せていないと美しくない」といった書き方をしているせいで、皆さんヒステリックにダイエットをしたり、肌の手入れをし過ぎて、逆に肌にダメージを与えてしまったりしています。
人と比較したり、「他人がどうだから自分も」といった十把一からげの「みんなで渡れば怖くない」という、日本人特有の横並び体質が装いやおしゃれにも出てきて、それが自分たちを苦しめているのです。そしてそのことに気が付いていない、というのが問題です。
しかし、たとえ気が付いたとしても、現状ではそれを実践するのは難しいでしょう。 女性なら誰でも、メークの情報や化粧品はたくさん持っているものですが、「自分自身に合う」という意味では、なかなか個人では対応できていないからです。先程触れたハウツー本も1つの原因でしょう。
そういう部分をこのコスメティックセラピーを通して、少しでも分かりやすい、取り組みやすいものにしたいと考えています。
そしてそれがひいては、高齢になってもっと体が変化し、心も変化したときにも役に立つのです。
「なぜ化粧するの?」「外に出ないのだから素顔でいいじゃないか?」とコスメティックセラピーで会うおばあちゃんたちは言います。
それはきっと彼女たちは、化粧、装いというのは、近所付き合い、会社付き合いなどといった対外的なものなのだろうと思っているからでしょう。それはそれでいいことなのですが、何より自分自身が化粧を楽しむという気持ちも必要です。

夫との関係でも化粧は重要です。本来、他人である夫は兄弟や親子以上に長く連れ添う間柄になります。そしてともに老いていくわけですが、その中で少しでも美しくありたいと考え、紅をさすなどをすれば、褒めてもらえたり優しくしてもらえたりして、その結果自分も嬉しくなり、それによって夫婦の絆はより強く作られていきます。
人は「隣の芝生が青く見える」というふうになりがちですが、案外足元にあるちょっとしたこと、当たり前のことに喜べるものなのではないでしょうか。
そしてそういうことから、命の回帰、自分を取り戻すことができるのではないかと思います。
そういう意味で、本書を通して紹介するコスメティックセラピーが、一つのヒントになるのではないでしょうか。
矢野実千代
出典:矢野実千代(2000) 『高齢者のコスメティックセラピー』一番ケ瀬康子監修,一橋出版
その経験が後々「美しく装うことは、美しく健康に老いることができる」という考えに至る最初のきっかけとなりました。これがコスメティックセラピー(化粧療法)という名前でイギリスの心理学者によって提唱されていることを知ったのは後になってからのことです。
実は私が20代の頃は、そのボランティア活動に対して特別な意味を感じず、単なる仕事上のデータ収集といった意味合いで受け止めていました。そして30代になり多くの人と接するようになると「その人の生活や人生といったものは全てその人の顔や姿に出るものなんだな」ということを感じ始めました。
ただ、まだその頃は漠然と感じていただけでした。

しかし、私が38歳のとき、一大転換期を迎えました。父が亡くなったのです。生活の中で生死ほど重要なものはありません。物質代謝の停止が死です。生命活動が終わり、どこへ行くのか。そして残された家族に何を伝えようとしているのか・・・・・・。そのとき私は人生について色々と考えるようになりました。
「個体は遺伝子の乗りものにすぎない」とある学者は言っています。
人類の長い旅を考えるとかけがえのない親の死も、すべて生命の循環の過程であること、死がなければ進化はなかったと言えます。感情として悲しかったり、辛かったりするのも進化の賜物です。
優しかった父、大きかった父を誇りに思い、私の中に生き続けていることが支えになり、そしてただ生きているのではなく、生かされている事を実感したのです。
「生活」とは生きて活かすと書くわけですから、生命の燃えつきるまで、何か私の得意な事で役に立ちたいと思うようになったのです。
健康で長生きしたいと願うから「食」に執着し、モノに囚われ、大切な事を見失ってしまいがちになるように思えるのです。
人生は「泡のようなもの」、どんなに頑張って成功を遂げた人も死を避けることはできません。
それならば、めぐりめぐって持ちつ持たれつ生きていくこと、一番大切な家族の結びつき、足元の生活が大切・・・・・・と父が死をもって教えてくれたような気がしました。
このような死生観を考えさせられたことは、自分にとってかけがえのない財産になっています。
その頃から自分の仕事の捉え方、仕方に対する意識も非常に変わってきたように思います。
私たち段階の世代が60代を迎えるときには、日本は高齢社会になってしまう。そうなったとき、父が教えてくれたこと、そして社会人になって仕事の中で学んだことがきっと社会の役に立つ。
しかし考えているばかりでは何もならない。そこで実践してみよう、と思い始めたのです。

とはいえ、私は女優やモデルなど華やかな世界の人たちにメークをするなど、日々の生活に追われていました。
でも、それだけでは寂しく侘しく感じて折、ならば美容にあまり縁のない世界の人たち、例えば老人ホームのお年寄りにお化粧をしてあげれば何かが発見できそうな予感がしてきたのです。
しかし、思ってみても実践するにはチャンスや縁がないとできないもの。そういうときに、一番ケ瀬先生と知り合えたのが幸運でした。
一番ケ瀬先生は「コスメティックセラピーの実践をなさるのなら、いろんなセラピーに取り組んでいる<さくら苑>が、意識も高く、やりやすいでしょう」と、コスメティックセラピーを具体的に実践できる場を私に設けてくださいました。
ボランティアという形ではあるのですが、それが逆に、無償で損得抜きで関われるからこそ、気持ちも体も全て注ぎこむことができ、大変な喜びにつながっています。
化粧というのは、若い人にとっては日常的なものになっています。若い人は、若いというだけで美しく、装えばさらに誰でも美しくなります。
しかし年齢を重ねると、当然シワやシミ、たるみとかいったものが出てきます。すると皆さんは、化粧をする目的を「10歳若く見える」とか、「20歳若く見える」という所に置きます。「若く見える」という所にだけ「美」を求めてしまうのです。
しかし、人間には年齢なりの美しさというものがあります。老いというのは宿命ですから、まずそれを自覚して、その中でおしゃれに取り組む、ということが最大のテーマだと思います。
そして、高齢社会を形成する予備軍である40代50代という年齢の方たちに、自分なりの美しさを表現してもらいたいのです。
容貌は関係ありません。容貌とは、その人の人生ですし、生まれ持ったものは自分ではどうしようもありませんので、まず顔のメークで自分らしさ、自分なりの個性を出していくことを提案したいと考えています。

誰でも鼻の形が気に入らなかったり、目が小さかったり、額が狭かったりすることを欠点のようにネガティブに捉えますが、それを活かすことを考えた方がよいのです。
今まで、ここを煎じつめることをメーク雑誌やハウツー本はしていません。一つの物差しに当てはめたり、美の物差しを作り過ぎているのです。「痩せていないと美しくない」といった書き方をしているせいで、皆さんヒステリックにダイエットをしたり、肌の手入れをし過ぎて、逆に肌にダメージを与えてしまったりしています。
人と比較したり、「他人がどうだから自分も」といった十把一からげの「みんなで渡れば怖くない」という、日本人特有の横並び体質が装いやおしゃれにも出てきて、それが自分たちを苦しめているのです。そしてそのことに気が付いていない、というのが問題です。
しかし、たとえ気が付いたとしても、現状ではそれを実践するのは難しいでしょう。 女性なら誰でも、メークの情報や化粧品はたくさん持っているものですが、「自分自身に合う」という意味では、なかなか個人では対応できていないからです。先程触れたハウツー本も1つの原因でしょう。
そういう部分をこのコスメティックセラピーを通して、少しでも分かりやすい、取り組みやすいものにしたいと考えています。
そしてそれがひいては、高齢になってもっと体が変化し、心も変化したときにも役に立つのです。
「なぜ化粧するの?」「外に出ないのだから素顔でいいじゃないか?」とコスメティックセラピーで会うおばあちゃんたちは言います。
それはきっと彼女たちは、化粧、装いというのは、近所付き合い、会社付き合いなどといった対外的なものなのだろうと思っているからでしょう。それはそれでいいことなのですが、何より自分自身が化粧を楽しむという気持ちも必要です。

夫との関係でも化粧は重要です。本来、他人である夫は兄弟や親子以上に長く連れ添う間柄になります。そしてともに老いていくわけですが、その中で少しでも美しくありたいと考え、紅をさすなどをすれば、褒めてもらえたり優しくしてもらえたりして、その結果自分も嬉しくなり、それによって夫婦の絆はより強く作られていきます。
人は「隣の芝生が青く見える」というふうになりがちですが、案外足元にあるちょっとしたこと、当たり前のことに喜べるものなのではないでしょうか。
そしてそういうことから、命の回帰、自分を取り戻すことができるのではないかと思います。
そういう意味で、本書を通して紹介するコスメティックセラピーが、一つのヒントになるのではないでしょうか。
矢野実千代
出典:矢野実千代(2000) 『高齢者のコスメティックセラピー』一番ケ瀬康子監修,一橋出版
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