南蛮酒指南書 2
そして、ときは経って・・・
フランシスコザビエルがキリスト教の血たる葡萄酒をたづさえ、日本に渡来する6年前、1543年9月にポルトガル船アバイズ号が、暴風雨に流され、インドから種子カ島に漂着するのです。
「船客百余人、その形類せず、その語通せず、見る者、もって奇怪とす。」
と当時の日本人は記している。
ともあれヨーロッパ人との第三種接近遭遇です。
当時日本は、マルコポーロが中国人から聞かされていた、金銀に埋めつくされた島でありジパングである。そして、スペイン人ザビエルがやって来る。
ザビエルの目的は第一にキリスト教の布教であったがその影にはポルトガルの世界征服の野望が秘められていたのもまた事実です。ザビエルが日本に持ち込んだ種々の品物として、時計、眼鏡などと共にポルトガル産葡萄酒がある。
ザビエルの持ち込んだキリスト教は、またたく間に信者を作り大村純只のようなキリシタン大名までを生んだ。
彼のバルトロメオというクリスチャン・ネームは、長崎港のポルトガル名"ドン・バルトロメオ港"として残されています。
--続く--
フランシスコザビエルがキリスト教の血たる葡萄酒をたづさえ、日本に渡来する6年前、1543年9月にポルトガル船アバイズ号が、暴風雨に流され、インドから種子カ島に漂着するのです。
「船客百余人、その形類せず、その語通せず、見る者、もって奇怪とす。」
と当時の日本人は記している。
ともあれヨーロッパ人との第三種接近遭遇です。
当時日本は、マルコポーロが中国人から聞かされていた、金銀に埋めつくされた島でありジパングである。そして、スペイン人ザビエルがやって来る。
ザビエルの目的は第一にキリスト教の布教であったがその影にはポルトガルの世界征服の野望が秘められていたのもまた事実です。ザビエルが日本に持ち込んだ種々の品物として、時計、眼鏡などと共にポルトガル産葡萄酒がある。
ザビエルの持ち込んだキリスト教は、またたく間に信者を作り大村純只のようなキリシタン大名までを生んだ。
彼のバルトロメオというクリスチャン・ネームは、長崎港のポルトガル名"ドン・バルトロメオ港"として残されています。
--続く--

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