南蛮酒指南書 3

織田信長は京都でヨーロッパ人と逢った。
その時、信長はヨーロッパ製の衣服、時計、毛皮のマント、羽根飾り付きビロードの帽子など、大量の南蛮渡来品を持っていて、宣教師フロイスを驚かせている。
信長はとてもモダーンボーイであったに違いない。

豊臣秀吉ははじめ、南蛮やキリシタンには好意的な人間だったらしい。彼の時代には南蛮風俗は一世を風靡した。

秀吉自身もポルトガル服を着、ポルトガル風の食事をしたのです。

そして時代は江戸期へ

日本人が関ヶ原で天下分け目の戦いをしてた頃、イギリス人やオランダ人が、すでに東インド会社を設立していたのは興味深い。
そして徳川家康が”天下を取り”日本に泰平の時代を迎えるのです。

家康は貿易の必要を認め、平戸に次には長崎にオランダ商館が開設された
南蛮酒はようやく大量輸入の時代になった。

また日本から太平洋を渡り、現在のメキシコであるノピスパニアに日本商人が渡航したのです。

なんと1610年に家康の命に受けて京都、堺、の商人たち22名の日本人がスペイン人とともにメキシコへ旅立った。アカプルコに入港した彼らは、最初にトロピカルな国を体験した日本人だったのかもしれないのです。

--終--

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